2022冬のセミナー(2022.2.27)抄録

                                  文責 中村岳夫

テーマ:なぜ学ぶのか、なぜ働くのか

 

【綿貫公平さん(進行)】

今も世界中の街角でNO WARの声が上がっています。今この時も私の友人たちが渋谷のハチ公前、新宿西口で声を上げています。また、国境を越えたコロナ危機も3年目に入ろうとしています。こうした世界的な危機の時代に「なぜ学ぶのか、なぜ働くのか」という本日のテマを設定しましたが、その根底には「なぜ生きるのか」という大きな問題があります。

今春から18歳成人となりますが、法的に「大人」とされても制度の隙間で困難、生きづらさを抱えている若者たちがたくさんいます。私自身も「居場所」のスタッフとして彼ら自身が仲間との出会いの中で新たな一歩を踏み出すエネルギーを蓄えて巣立っていく姿をたくさん見てきました。本日は長年、学校の外、学校の少し離れたところで若者たちを支え、共に歩んできた佐藤さんや協同ネットの職員の方々にお話をうかがい、この時代を共に生き抜いていくための課題を共有していきたいと思います。

 

【佐藤洋作さん(講演)】

私も1980年代後半から全進研と付き合ってきました。今日のテーマをめぐって学校現場の先生方とさまざま語り合い、励まし合ってきました。そんな中で私たちの取り組みを少しお話したいと思います。

 

1.「なぜ学ぶのか?」と問い続けて

2000年になってパン屋を始めました。当初、「塾がなぜパン屋をはじめたのか」と不思議がられました。私たちのNPO設立は、1999年。定款に「この法人は、子ども・青年の健やかな成長を願い、市民の学びあいと文化創造の協同によって、子どもや青年のための癒しと学びの居場所をつくり運営する。青年たちの自立支援システムづくりとその運営を行うことによって、競争原理を越えて一人ひとりが自分らしく輝ける、豊かなコミュニティの実現に寄与することを目的とする」と規定しました。

簡単に私たちがこうした活動を始めた背景を確認してみます。

1970年代半ば高校進学率は90%を超え、塾通いは盛んになっていきました。街にはコンビニ、インベーダーゲームが立ち並びます。私たちはまさにこうした中で活動を始めました。

高度経済成長の終焉を迎えた頃から、学歴というスタートラインを準備してやりたいという親たちの願いが、子どもと若者を学力競争に駆り立てるようになっていきます。一方で、校内暴力が70年代終盤から社会問題として注目されるようになり、1982年には全国の中学校・高校のうち637校の卒業式に警官が出動して校内暴力の警戒にあたりました。校内暴力は1985年ごろを境に沈静化しましたが、代わって学級崩壊やこれまでにはなかったようないじめの急増など、新たな問題が見られるようになっていきました。このころから全進研との付き合いも始まりました。

 当初私たちは子どもたちに分かるように丁寧に教えましょう、ということを中心に活動してきましたが、こうした子ども若者たちの直面している問題は単に教育技術とか指導スキルだけの話ではないと気づかされていきました。その背景に子どもたちの大きな困難、生きづらさが社会システム全体に生まれてきているのではないか、と思い至りました。

私たちの塾にも不登校の子どもたちがやってくるようになります。学びから逃走し始めた子どもたちを前に、“知る喜びと学ぶ意欲”をスローガンに教科学習の他にもさまざまな体験的で探求的な学びをつくり出していきました。

 「夏休みぐらいどこか行きたい」という子どもたちの声から始まった「夏の学校」。そこでのスローガンは、「自分の頭で考えて、自分の言葉で語り合おう」でした。話し合い(討議)、なぜと答え(探求)、自分の意見(表現)、そしてみんなでの発表会や行事づくり。子どもたちは目をキラキラさせて参加し学んでいきました。子どもたちは、自分の頭で感じたことを書き、表現していくことに喜びを感じていくのです。そのための素材として、映像・演劇鑑賞、体験証言の聞き取りなどたくさんの取り組みをしてきました。親とも一緒に行事を取り組みながらその思いを共有していきました。

 このころフランスのフレネ学校への見学もして、表現活動がベースであることや一人ひとりの学びが仲間と共有し合っていく仕組みや学びのコミュニティ(共同体)としての授業の在り方に刺激を受けました。

1990年代初め、文部省自体も不登校は個人的な病理ではない、と見解をだし、子どもたちの「居場所」が求められていきました。こうして私たちも、不登校の子どもの居場所「コスモ」を始めました。

異年齢集団、昼食づくり、計画づくり、自己決定、個別学習と自治、良かったこと会(ふりかえり)―相互承認、農業と冒険ツアー、体験と表現(報告集と報告会)を柱に実践をしてきました。

また、国を越えた世界と出会う必要もあることから、韓国やベトナムへの旅、沖縄、イラクの戦争や薬害エイズなど、外国で起こっていること、日本で起こっていることに数多く出会い、考えてきました。

さて、学びは「いま」と「ここ」から始まると思います。これからは、未来のための教え込み(銀行型教育)からプロセス充実的学び(課題提起型教育)へ移っていく必要があるでしょう。探求的、経験を通した学びです。そこではじめて学習と学習意欲との循環が生まれるのではないでしょうか。

 つまり、学びとは何かといえば、「自然や文化や社会に出会い、共感したり疑問を持ったりしながら、対象世界との対話を通して、自分の知識を生活に生きて働く知に組み替え、自分たちの生活世界を人間的につくり直していくワクワクする営みのはず」だと思うのです。 

 

2.「なぜ学ぶのか」から「なぜ働くのか」へ

 新しい世紀に入ろうとする頃、働かない、働けない若者や「社会的ひきこもり」の若者の存在が社会問題になり、私たちのNPOも政府の「若者支援政策」に深くかかわるようになっていきます。

これは「戦後日本型循環モデル」が破綻していったという社会経済的変容があったからです。本田由紀さんの言う「家庭」と「仕事」と「学校」がうまく循環していた時に、一つ崩れると全部崩れていくという問題です。正社員がどんどん削られていき、規制緩和をしながら働く環境が非常に不安定になっていきました。こうして「学校から社会へ」の移行システムが機能しなくなった時代で自己否定感情に埋もれた子どもたちが私たちのもとにやってくることになります。

若者の生きづらさの根幹には、①他者からの評価的なまなざしに縛れている、②他者との応答関係が築けない、③進路の方向性が見えない、④自己肯定感が持てない、という心的な状態があるのではないでしょうか。自己責任論を前に立ちすくみ、引きこもってしまう。他者との自由なコミュニケーションを通して自分の役割を果たしながら、主体的に社会的営みに参加していけない、その自信と意欲を持ちえないで、孤立し立ちすくんでしまう。若者個々の意識ではなく「層」として存在しているように思います。

例えば、パン屋体験の中で「お客さんにもっと声を掛けたら!」というと「俺みたいなダメな人間が〈いらっしゃいませ〉と言っても誰も来ない」と言うのです。「分からなかったら聞いていいよ」というと「そんなことも分からないのか」と言われてしまいそうで質問もできないというのです。「何がやりたいの?」と聞いて、「こんなことをしたい」、「それではこれをやってみたら」という声掛け以前に立ちすくんでしまっている状態なのです。

ということで、若者たちとともにこれからの新しい働き方・生き方探しを始めました。「働き方講座」と称して、ちょっと先を行く先輩方などを呼び、さまざまな人との出会いを企画しました。また、新しい生き方・つながりを発見しようと「カンパネルラ」という雑誌も作りました。そして2004年に「風のすみか」というパン屋を市民の協力の下でひらくこともできました。

好きな仕事探しの前に、働くことの喜びと希望が今の若者たちには必要なのだと思います。働く体験を通して自己責任論のくびきから抜け出してほしいと切に願います。

体験して欲しい働き方として私たちは、①試行錯誤(失敗)が許容される働き方、②働くものの協同や自治がベースになる協同労働、③仕事の目標や意義がわかる働き方、④人間にとって有用な価値を生み出すスローな働き方、⑤次のステップへの模索を支える働き方、をイメージしました。

では、スローワーク(良い働き方)とは何でしょうか。それは、①自分たちがやりたい、やれる仕事(内発的動機)、②話し合いと学び合いによる仕事創造と革新(質の高い仕事)、③現場の体験から編み出される「仕事哲学」(独自性)、④仕事を通した社会との出会い・社会への参加・問いかけ(社会性・公共性)がある働き方です。

私たちは一方で、職業訓練校でも学校でもない、生産活動と教育を結合したオルタナティブな教育機関をもつデンマークやドイツなどの海外の取り組みからも学んでいきました。

働くことの本質とは、自然や社会に働きかけて(労働を通して)価値あるものを生み出し、同時に対象世界を認識し、自分自身の技能を発展させ、知識を問い直しながら自己を人間化していく、ということだと思うのです。

 「風のすみか」での研修を終えたある24歳の若者の声です。

「…働くことに恐怖心を抱いていました。やりたいことが何なのかもわからず、わけもわからないまま就職するとそこでは即戦力を求められ、気持ちが追いつけず、自分はもうどこへ行っても働けないと思っていました。…以前は、失敗した時に注意を受けると、自分の存在への叱責に聞こえてしまい自分を激しく責めていましたが、一緒に働くメンバーやスタッフを見ていて、失敗しない人なんかいない、大事なのは次どうするか、どう学びにつなげるかということ気づけました。」

 

3.若者と仕事をつくる、若者を地域につなげる

 そこで、若者と仕事体験を受け入れる希望のある企業をつなげる仕組みがどうしても必要になります。

地域全体の中にそうした関係性を組み直し、若者が参加して一人前になっていくことを支えるような事業(企業)のあり方が必要ではないのか。実は、東京都も昨年から「ソーシャルファーム事業」をはじめました。さまざまなハンデを負った人が働く事業所がすぐに市場社会(競争的な関係)の中で存在していくことは難しいでしょう。ならばそれを公的に保障しながら、一人前の事業所になるまで社会が応援する、そういう社会保障と事業をセットしたような仕事のあり方を求めるものです。これはすでに国際的にあるもので日本が遅れているのです。私たちのNPOも認証を受けたので、来年からは人数を増やし、その8割は東京都の方から人件費が出るようになります。もちろん、今後5年間の内に徐々にその補助は無くなっていくと思いますが。

 地域の中に学び直しのチャンスを提供されながら社会へと接続していく、そういう仕組みづくりが必要なんだと思います。若者たちが地域の人々との共生的な(対話的な)関係性を生み出し、社会(地域)とのつながりを回復し、孤独を克服していくプロセスを支えていくことが我々の仕事だと思うのです。

アフターコロナへの展望としては、孤立と分断を超えて命と人間のくらしを願う人々とのつながりを回復し、地域を共生社会へと編み直していくこと、その中に若者の出番(シチズンシップ)と働く場を創出していくこと。魅力ある(希望ある)地域との出会い、若者の社会参画へ。そうした流れをどう作っていくことができるか。

 若者の試行錯誤を「学び直し」と言い換えるならば、移行期を生きる若者の学習権なのです。人生前半の社会保障(学び直し保障)をどう確立していくかが重要だろう。学びの居場所、就学、職業訓練、在宅費補助、高等教育の無償化、就労準備支援サービスの拡充などなど具体的な課題はたくさんあります。少なくない若者たちはいわゆる「普通」から外れてしまっている生きづらさを抱えているだけに、もう一つの豊かな社会づくりをテーマとして組み直していく必要があるのです。

 特に10代後半の若者の社会的自立保障は喫緊の問題です。たとえば中学時代不登校だった子どもたちの主要な進学先として私立通信制高校が激増していて、高校生全体の16人に1人の割合で、そのうちのおよそ40%は進路未定なのです。市場化されたサービス提供により、学びの時間が趣味の活動に偏向しすぎていたり、個別化のなで仲間たちとの協同の学びが弱体化されていく傾向があります。 

最後に、私たちのNPOが追求してきたことを確認します。

 一言で言えば、子ども・若者、そして地域の人々との対話と協同によって、もう一つの学びと働き方を創造する、ということです。具体的には次の通りです。

・学びが生まれる居場所(ベースキャンプ)をつくる

  ⓵対話に満ちた居場所を通して人と人との関係性を組み替える

  ⓶居場所を外に開き、子ども・若者と社会をつなぐ

  ③探求的な学びを通して子ども・若者の進路形成を支える(青年の自己学習)

・社会への適応指導から協同的な社会創造へ(協同実践)

  ①子ども・若者の教化・訓練ではなく自主的な「学び直し」を支える

  ②若者を支え・育てることのできる社会(資源)を見出し、連携する

  ③若者が働き続けられる仕事につなげる、あるいは仕事をつくる

以上のことを社会全体で取り組んでいこうではないですか、ということで今日のまとめとします。

 

【大屋さん(報告)】10代の居場所「みらいる」のスタッフから

1.「18歳以降の支援体制」を考える

私自身は、おおよそ15歳~25歳くらいの若者を年間100人程度担当しています。その中で彼らとは「どう生きていくのか」「どう生きるのか」という話が多くなっていきます。高校を中退してしまった、高校を卒業はできたけどこの後の進路で苦しんでいる等々の悩みを抱えている若者が多いのです。そうなると、彼らの背後にある環境を整えて、彼らの学びや自立するためのエネルギーをつくる、それをどう支えるのか、という課題に直面します。

さて、15歳の時に義務教育が切れますね。その後18歳まで児童福祉法があるのですが、子ども家庭支援センター、児童相談所、教育相談所などはかなり手薄になっていきます。そして18歳の誕生日を機に基本的には法的な支えが切れてしまうのです。65歳で介護福祉法がはじまるまで、つまり18歳から64歳の間は彼らを支える法的支援の無い空白期間になってしまうわけです。

18歳を超えた時に何がおきるのか。たとえば、虐待ケースはどこにつなげばよいのか、ヤングケアラーの家庭介入はどうしたらよいのか、グレーゾーンの発達や精神疾患は誰に相談すればよいのか、生活困窮のグレーゾーンへの支援はどうすればよいのか、等々の疑問が出てきます。こうなると私たちの単体の努力だけではどうにもなりません。

 

ケース①18歳までなら何ができるか

相当なネグレクトで苦しんでいる中学生のケースです。子ども家庭支援センターなら虐待確認・抜き打ち家庭訪問もしてもらえるので入ってもらうと、これは単なる育成相談ではなく、虐待ケースだと切り替えて対応をしてくれました。サポステとしては高校復学支援・進路相談を繰り返しています。家庭問題は「コカセン」に任せ、進路の問題はこちらが引き受けるというように役割分担をきっちりやって、親御さんにはそこを見せないように丁寧に対応しています。

 

ケース②18歳誕生日前日に

ある子ども家庭支援センターの方と児童相談所のスタッフの方が私たちのサポステに来られた時、本人を目の前にして「明日、誕生日だね。私たちも応援しているから後は大屋さんよろしく!」と言われました。三者で何とかやろうよ、という会だと思っていたら、「引き渡し会」だったのか…という驚きでした。とはいえ、この生徒が3年前の卒業した出身中学まで行って調査書を書いてもらい、高校復学への道を模索している状況です。

 

ケース③18歳までにやるべき準備とは

ある自治体では、後、半年後に18歳になる時に子ども家庭支援センターが中心になってカンファレンスをやろうという施策を打ち出しました。18歳までの活動場所、相談場所を確認したうえで、18歳以降はどこが担当し、どのようなことができるのか、という引継ぎを濃密にやっているのです。

 

ケース④18歳を超えてしまって虐待が確認できた場合

この子は、児童相談所に小学校から中学校にかけて通告が3回あったにもかかわらず結局どこも家庭介入しないまま来てしまい、高校卒業を卒業しました。しかし、働けない、ということで本人が相談に来ました。話を聴いていくうちに私たちは医療の方につなげました。その結果、母親のパートナーから未だに殴られているという事実が判明しました。この時、彼は20歳でした。こうなると彼を守ってくれる法律はありません。その後、障がい者虐待防止法の範囲で障がい者支援課が引き受けてもらえました。

 

2.「教育の場」にも必要な福祉的視点

さまざまな若者たちと触れ合ってみると、自分の痛みがわかってくると社会の痛みも分かってくるんだな、そこから本当の学びが始まるのかなと思っています。学びの場には、ピア的要素とソーシャルワークが重要なのだと改めて認識しています。

 

【大山さん(報告)】 コスモ高等部のスタッフから

 私の担当するコスモ高等部の紹介をしたいと思います。私自身は昨年の4月から加わっていまして、この一年間で子どもたちとの関わりで感じていることなどをお話します。

 学校に行かない、行けない、小中学生のためのフリースペース「コスモ」で過ごし、そこから先につながる高校生年代の学びの場としてコスモ高等部はつくられました。まわりには、地域若者サポートステーション、コミュニティベーカリー「風のすみか」、DTPユースラボ、相模原にはニローネ「風のすみか農場」などがあります。こうして実際に働いている大人がいて、彼らにとっては出会う社会がまわりにはある中でコスモ高等部としての学びをつくっていけるところに大きな可能性を感じています。

 情報が氾濫している中に生きる高校生年代にとってかえって「社会」が見えづらい時代です。こうした中で手ごたえのある学び、実際の現場を活用した学びをどうつくっていけるかを私たちも挑戦しているところです。

 まずよく「卒業した後はどうなるんでしょうか」と聞かれます。教科を学んだり、体験的な活動をしたり、職場体験や地域参加をしたり、相談活動を重ねてもフリースクールで学んでいる、というだけでは今のしくみでは「高卒」の資格はとれません。そこで、通信制高校と連携し、レポート・スクーリング・テストを通して卒業資格をとれるように支えていく方向と高卒認定試験を受検して卒業資格をとれるように支えていく方向があります。

 いずれにしても生徒それぞれに考え、試行錯誤しながら、行ったり来たりしながらやっていくというような余白がもっと考えられたらいいのかなと思っています。

 午前中は、通信の勉強や中学校レベルからの勉強などそれぞれのペースに合わせ、教え合ったり、学び合ったりもしつつやってきました。午後になるとさまざまな活動に参加していく人も多くなります。パン屋「風のすみか」に研修に入ったメンバーのつぶやきから、食品ロスや食の安全についての興味が生まれ、ドキュメンタリー映画を見たり、相模原の農場に見学に行ったり、というような学びが始まりました。その中で、自分たちも活動を通して何かやってみたいという想いが生まれ、具体的には、「風のすみか」で作ったコッペパンに自分たちで作った食材を挟んで店頭で売る、という活動が始まっていきました。

 こうして子どもたちとのやり取りを通じて私自身が感じたことが二つあります。一つは、「こうしたら良い」というような支持の無い中で一つ一つ何を大切にしたらよいだろうとか考え、話し合っていくとそれぞれがお互いに向き合う場面があったのかなと感じました。もう一つは、そうした活動をする中で「うまく伝わるかな」「聞いてもらえるかな」という葛藤も出てきます。そんな中で少し活動を休んだり、一時的に離れたりすることもあります。大きな学校の中ではそうした葛藤や右往左往が受け入れられないところを私たちは何とか受け止めつつ一層の関係をつくっていくことがこれからの課題だと思います。

 私自身もたくさん社会とつながりながら彼らと一緒になって学びあうことが大事だと改めて考えています。

 

※参加者交流のなかで、都内私立高校教師(家庭科)から問題提起をしてもらいました。以下はその要約です。

「家庭科は生活を学ぶこと、体験をくぐりながら生活を考えていく科目だと思っていました。自分に向き合いつつ進路を考えることを大切に取り組んできましたが、周囲を見ると入試のための授業に偏ってきました。今度の指導要領を見ると、「生涯の生活設計」という項目が冒頭に入り、家族の一員としての役割を子どもが果たしていく、子どもを産み育てていくという固定的な家族観を教えていくことになっています。親の役割、高齢者の介護を強調することで社会的支援や社会保障に頼らず自己責任と家族責任が強調されていきます。公的扶助などの公助を要求するのではなく、自助・共助で乗り切る人の一生、家族・家庭、福祉が描かれているように私には思えます。

特に、4月から高校家庭科では「金融教育」が導入されることになりました。。2019年に、金融庁の金融審議会 市場ワーキング・グループがまとめた「老後資金の必要額は2,000万円」とする趣旨の報告書が出されて、大きな話題になりましたが、2022年度から実施される高校家庭科の学習指導要領に家計管理に、「資産形成」という文言が加わり、預貯金だけでなく投資も含めて学ぶことが求められています。つまり老後の資金を含めて、自己責任ですべてを乗り切る人の一生が家庭科の中で入り込んできているのです。」